御由緒
坂井神社の創立は、詳細は定かではなく、古来より「境神社」とあります。
領地と領地との境界(現在の西川沿いの坂井部落の中にあり)に寛永三年(一六二六年)荒涼たる原野に囲まれた付近三か村(大野郷屋・坂井・須賀)の集落に一小祠を建てて鎮座されました。
天明乙巳年(一七八五年)の頃、度重なる水害を見た国主である長岡藩城主牧野家により現在の境内地が寄進され、当時の庄屋前田為七が坂井の部落を山手に移転の計画をたて、梶原六郎左エ門に命じて工を起こし、最初に社殿を移転造営しました。
しかし庄屋前田為七が途中死去したため、集落の移転は出来ず、神社の移転のみに終わったと伝わっています。
下ること弘化四年二月(一八四七年)暴風の為社殿は大破壊し、翌嘉永元年五月に再建竣工しました。
明治四年に「境神社」を「坂井神社」に社名を変更。
大正六年十月に西蒲原郡坂井輪村の村社に昇格し、坂井輪村の総鎮守となります。
昭和二十一年に宗教法人坂井神社となり、神社本庁の包括下に入ります。
戦後、坂井輪地区(現在は新潟市西区)は新潟市のベットタウンとして住宅化が進み、昭和三十九年頃より人口増加に伴い崇敬者の数も年々多くなり、昭和四十九年に社殿荒廃により本殿、幣殿、拝殿の補修改築等を行い、翌年四月に竣工しました。
その後、駐車場の新設、境内地の充実を図り、平成四年、社殿の老朽化並びに社殿手狭のため百四十五年振りに全面改築を進め、平成六年九月に竣工、現在に至っています。
当神社は、天照皇大神、豊受大神を御祭神とする神明社でしたが、嘉永元年に大国主大神が合祀され、稀にみる素晴らしい三柱の御祭神となりました。
- 天照皇大神あまてらすおおみかみ
- 皇室の御祖神であり、日本民族の大御祖(おおみおや)と仰がれる天照大御神です。
太陽に例えられるような、偉大で明るい立派な日本民族の祖神を意味する神様です。
- 豊受大神とようけのおおみかみ
- 国民全ての祖神 豊受大神(とようけのおおかみ)伊勢神宮の外宮の御祭神です。
農業、諸産業、衣食住の守護神であり、私たちの生活に欠かすことの出来ない衣食住の恵みを与えてくださる神様です。
- 大国主大神おおくにぬしのおおみかみ
- 「だいこくさま」と言われ慕われている神様です。
だいこくさまは、「天の下造らしし大神」と伝えられているように、
国土を開拓、国づくり、村づくり、また農耕・漁業をすすめ、殖産の法を伝え人々の生活の基礎を固めた神様です。
また、医薬の道を伝え、人々の病苦をお救いになる等、慈愛のある御心を寄せてくださった救いの親神さまです。
坂井神社の御神徳
- 国土平安
- 福徳円満
- 産業繁盛
- 学業成就
- 縁結び